にじいろふうせん

バルーンアート活動のいろいろを書いています。

逆境を喜びに変える

何の本だったか忘れてしまったんですが💦“ストア哲学”の紹介があり、気になって検索してみました。

出てきた中で、その時点で1番新しかった本は、逆境の乗り越え方、みたいな内容でした。

内容はともかくとりあえず読んでみたかった、というだけなので、今、何か大変な問題を抱えてるとかではないんですけどね。

『コントロールできないことは思い悩まない』

この一文が1番突き刺さりました。

あのときこうしていたら、と過去の逆境を思い出しては後悔する。その時の自分にはおそらくその選択しかできなかったと分かってるのに。

思い悩むことで変わるならいいけど、きっとタイムマシンに乗って同じ瞬間まで戻れても、同じ行動をするはず。

現実にタイムトラベルなんかできないんだから、思い悩んでも仕方がない。

まず逆境に遭遇したときは

ストア哲学の神々がわたしの逆境に負けない力、すなわち、回復力(レジリエンス)と問題解決能力を試そうとしていると考えるのだ。そうすれば、逆境ー何かを実現しようとするとき、それを妨げるような出来事ーから生じる感情を軽くし、解決策を見つけやすくなる。〜11ページより

んだそうです。

思い返してみると、

『神様は乗り越えられない試練は与えないはずだから、今がどんなに辛くても、いつか出口にたどり着けるはず』

と信じて、人生最悪のときを乗り越えた私は、知らずにストア哲学を実践してた、ってことにならない?😁

“哲学”なので神様、と言う言葉に違和感があるかもですが、宗教的な感じではなく、分かりやすい言葉として使ってるようです。

自分にしっくりこなければ先生とか、コーチなんかに置き換えることを提案してました。

「あなたが望まないかぎり、他者があなたを傷つけることはない。あなたが傷つくのは、傷ついたと認識したときだけだ」〜104ページより

同じ出来事に遭遇しても、それを困難と捉える人と日常と捉える人がいる。

私は悲観的な見方をしがちなので、もちろん前者。

だけど、つまり、

「あの人の言葉で傷ついたー!」

とかって泣くのって、それが真実ということではなく、捉えた人の中にある反応だってこと?
そんなふうに言われちゃうと、傷ついたー!って騒ぐことが自作自演みたいで、急に恥ずかしく感じますネ…

神は承認する者、愛するものを強くし、評価し、鍛錬する。他方、大目に見てやるべき者たちには、与える不運にも手加減を加える。自分が災難とは無縁だと思う者がいるなら、それはまちがいだ。長いあいだ、幸福だった人も、いつかは不幸に見舞われる。災から放免されているように思えても、ただ、そのときが遅れているにすぎない。〜135ページより

逆境は、歓迎すべきもの。すぐれた者であり続けるために。

人生の逆境なんて大きな出来事、そうそう無いと思うんですが、そこはあえて自分の身を置く、ということも訓練として紹介されてました。

例えば山に登るとか、あえて食事を質素にするor食べない、など。

自分にとってちょっとした冒険になるようなことを経験して、自分自身を訓練していく。いつか逆境に遭遇したとき、より良い対処ができる、なんなら無意識にやってしまうくらいに成長させるためにやる。

ストア哲学の目標は、心の平静を得てそれを維持すること。

嫌な出来事に遭遇しても、最初からマイナス感情を抱かないようにすること、が目指すところです。

そのための具体的な方法として、フレーミング(捉え方を変える)やアンカリング効果(今より辛い状況を想像して、今に感謝する)などが紹介されています。

私が今受講している『NLP講座』でも似たような手法が出てくるので、とても興味深く読めました。

一見普通に見える人生を淡々と送るにも、トレーニングが必要、ということなんですね。